目指せ、自転車星人!

何歳までも自転車生活

坂東33ヶ所観音巡礼結願の旅

2006年12月15日(金)スタート

初日は午前中仕事。旅支度のまま17km自走して仕事場へ。その日のノルマを終え正午少し前に退出し、出発。那珂湊海門橋で正午。

ライドで通い慣れた大洗へ。浜の納屋で浜の定食(ジャンボかき揚げ付き)を注文。道中長いから、まっいいか。走行再開。さすがにちょっと食べ過ぎだ。

鉾田市(旧旭村)に入ったあたりで腰が痛くなる。サドルが前上がりになってしまったようだ。止まって携帯工具でサドルの位置を直し、ビスが緩まないよう強く締めつけた。

それからしばらくして、旧大洋村の柏熊あたり(大竹海岸手前)でリアタイヤがパンク。

パンクぐらいじゃへこたれないもんね~、修理修理。

さきほど携帯工具をしまったサドルバッグを開ける。

?えっ? タイヤレバーがない! これじゃタイヤが外せないじゃん。

サドルバッグをひっくり返して調べてもないのです。タイヤレバーが。

さっき携帯工具を出し入れしたときに落としたのか。

いや違います。持って来なかったのです。

数日前、店長に「どのタイヤレバーがいいですか?」と訊いて購入したシュワルベのタイヤレバー。ウッチー曰く「旅先でこそいいタイヤレバーを」

ないないない。どんなのでもいいから、タイヤレバーや~い。

約15㎞手前の仕事場にはパナレーサーのタイヤレバーが置いてあります。でも仕事を中断させて持ってきてもらうわけにはいかないし。とりあえず進みながら考えよう、と押し歩きました。

農機具の販売店があったので尋ねたら、クルマのタイヤ用のバールを持ってきてくれました。でも自転車には大きすぎて、リムが傷むだけ。そこから鹿島臨海鉄道の最寄り駅まで10㎞はあるということで、徒歩での撤退は無理。お礼を言ってパンクしたまま、また歩きました。

少し行くと「自転車防犯登録取扱店」の看板のある○○モータースを見つけました。入っていくとおばあちゃんが、ママチャリ用の金属製タイヤレバーを貸してくれました。10分くらいでチューブ交換終了。命拾いです。

それからは順調。鹿島市に入ってカシマサッカースタジアムのあたりで薄暮になりました。新神宮橋で北浦を渡ります。暮れなずむ北浦。余裕があれば写真を撮りたかったけど、日没が近いので走り続けます。

するとリアからイヤな振動が。リアタイヤがまたパンク。リアバッグの重さのせいで、リム打ちパンクしやすいのかな。仕方ない。今日の宿のある潮来市に入ったことでもあるし、また押し歩き。

ほどなく、ガソリンスタンドに併設した自転車店がありました。幸いまだ営業しています。

タイヤレバーを借りて、チューブの補修とタイヤの点検。そして今日二度目のタイヤ装着。もう手が疲れてしまったのかちょっと硬めのタイヤビードがはめられません。見かねてスタンドのおじさんが手伝ってくれました。いとも簡単にはめてしまいます。こういうときはチカラが欲しいと思います。

ここから2㎞くらい先にホームセンターがあるというので、そこでタイヤレバーを買うつもり。100mくらい走りました。

ありゃりゃ。リアタイヤがぺしゃんこです。3回目のパンク。

もうやだ~。ランスさんのパンクの歌を思い出して、笑うしかありませんでした。とにかくホームセンターまで、歩く。

ホームセンターにはタイヤレバーと聞いたことのないメーカーの見るからに分厚い700×28c仏式バルブチューブがありました。迷わず買い、修理はせずに3㎞先の宿まで歩くことにしました。

もう日が暮れてしまったので、屋外でパンクの原因を探すのは無理だし、タイヤを外せても限界の来てしまった手では短時間ではめることができないと考えたからです。

ヘルメットをかぶったまま、てくてくてくてく。

走らない自転車ほど始末に負えないものはない、とブツブツ考えます。

潮来駅前のビジネスホテルに着いたのは午後7時過ぎでした。休憩を除いて50kmに6時間かかったことになります。フロントにお願いして古新聞をもらいました。部屋に汚いリアホイールを持ち込み、タイヤを外して徹底的に調べる。これまでの経験からいって、パンクが連続するときは必ずタイヤにその原因があるのです。

2時間かかって、髪の毛3本分くらいの細く黒いとげを発見。これでは暗い店先では見つからなかったはずです。見失わないようボールペンで印をつけ、持っていた安全ピンの針先でえぐり出す。やったー、もう大丈夫。新しいチューブに換え、旅の必需品ターボモーフで7気圧まで空気を入れた。真っ黒になってしまった手は、乾燥してひびが切れ、傷だらけ。

明日もパンク続発だったら死んでしまうな~、と思いつつ寝ついたのは午前2時近くでした。

朝からの走行距離70㎞。

二日目は気持ちよく利根川の堤防(サイクリングロード)を20㎞ほど走ってから今回最初のお寺、坂東28番滑川観音に詣でる。

それから成田へ。国道51号線に出て、千葉市を抜け木更津市まで。昨日は昼食をのんぴりとってピンチになったので、もうお店に入っての昼食休憩はとらないことにしました。ダンプやトラックは多いけれど、房総半島特有のゆるいアップダウンは楽しめます。下りで勢いをつければ次の登りは勢いでなんとか登れてしまうのです。千葉の人はいい練習場所があってうらやましいな~、などと呑気なことを考えました。

坂東29番千葉寺(せんようじ)に詣で、納経印をいただきます。

夕べの苦労が報われたのか、二日目はパンクなし。走行距離100㎞。

三日目。まず木更津の山の上にある坂東30番高倉観音に参詣。往復で20㎞。

11時くらいから国道127号をひたすら南下。強い向かい風に悩まされました。下り坂でも突風で押し戻され時速15㎞も出ないのです。オフロードかと思うくらいペダルをこぎ続けました。

昨日は一日中走ったのに、コンピニでの休憩を嫌って持って行った分の1.2リットルしか水分を摂りませんでした。夕べは体が熱かったので、ちょっと脱水症状気味になってしまったようです。

走り続けていると午後1時近にくなって足が重く、元気がなくなってきました。ハンガーノックになりかかっていると感じ、上総湊のコンピニの店頭で昼食休憩。幅の広い縁台が用意されており、荷物を広げるのに都合がよい店でした。

それからたくさんのトンネルをくぐり、無数のアップダウンを繰り返しました。

40年前、子どもの頃潮干狩りに来た富津。

30年前、中学の臨海学校で来た岩井。

25年くらい前には大学の合宿で何度も来た富浦。

祖父の家に通った道でもある思い出の内房を自転車で、しかもこの歳で楽々自走していることが信じられない。

館山市に入るとほどなく、今回の旅の意識を常に支えてくれた坂東33番那古観音です。坂東33ヶ所観音霊場巡礼の最後の札所。

すべての札所を回り終えることを結願(けちがん)という。2004年9月に鎌倉の坂東1番杉本寺で発願(ほつがん)して以来2年余。途中、自転車よりクルマの方が多かったが、いろいろあったなか結願にこぎつけた。那古観音堂の高台から臨む夕陽に照らされた東京湾が妙にまぶしく、心に残った。

結願之証を交付していただき、午後4時すぎ最終目的地の館山駅に到着。列車輪行の準備は30分くらいで完了。手も顔も真っ黒だ。本当は一風呂あびて列車に乗りたかったが、命があっただけでも儲けもの。贅沢は言わず、午後5時過ぎに車中の人となる。各方面、携帯でメール連絡。車内販売の駅弁で夕食。

幕張メッセの横を列車は通り過ぎる。

ヤッホー。12月30日から1月1日までここで過ごすんだ。

Countdown JAPAN 06/07! 思わず携帯で撮影し、家にメールする。

「○○パンダも、××ガーデンも待ってろよー。(笑)」

浮かれていたのも束の間、東京駅と上野駅での乗り換えは本当に大変でした。リアキャリアつきのクロモリロードバイクは13㎏くらいあります。リアバッグは8㎏くらい。それと小さめのリュックと、サコッシュに入れて首に下げたヘルメット。大汗をかいて、輪行バッグをひきずりそうになりながら構内を移動。

ふたたび頭をよぎる。走らない自転車ほど始末に負えないものはない。

常磐線は途中乗り換えのない普通列車に乗る。下車駅で輪行解除。組立は15分くらい。午後10時50分には帰宅。今日の走行距離70㎞。

3日間、23時間かけて移動した240㎞を、列車は6時間弱で引き戻してくれる。でも私は、自転車で移動することをやめないだろう。250㎞圏なら、時間をとれば自走可能なことがわかったのだから。

次は長野県の善光寺北向観音への御礼参り。雪が融けたら…。