目指せ、自転車星人!

何歳までも自転車生活

福島県脱出記2

連泊の予定なので、大熊町の宿に荷物を置いてきてしまっています。宿は公衆無線LANが入っていたので、電話が使えるかもしれないと、まず宿に戻ることにしました。しかし、浪江から大熊へ山沿いに最短の県道35号線は約40cmの段差ができたと通行止め。消防団の方が対応していました。
あとわかっている道は国道6号です。海側に向かって走り、朝寄ったローソンまで出ました。もうすぐ国道6号なのですが大津波警報発令中。そこで通行止めです。警官の制止を振り切ってさらに海の方へ進む人もいますが、「自己責任ですよ!」と声をかけられていました。

ローソンの店員は全員避難していて店はからっぽ。お酒の瓶が落ちて割れ、アルコール臭がたちこめています。買い物はできません。トイレは水が流れないようです。公衆電話にとりついて東京の本部に電話をかけまくりますが、話し中にもならずまったくつながりません。携帯も相変わらずダメ。何通か携帯メールの発信予約をして様子を見ますが、圏外表示のまま返事は来ません。
そのうちローソンの店員が戻って来たので翌朝までの食料と2リットルの飲料を確保しました。
余震は絶え間なく、ローソンの広告塔はぐらぐら揺れます。そこは請戸川支流の高瀬川のそばで、河口から2.5kmくらいのところ。パトロールカーが拡声器で「津波の恐れがあるので山側に移動してください」と呼びかけだしました。ここまで来る間に観察したところ、県道35号の手前で南側に抜ける道があるようでした。ブルベの時と同様詳細な地図を持って来ていないのですが、行けるところまで行ってみようと、間道を使う決意をしてクルマを発進しました。クルマで移動中はラジオが聞けるし、携帯に充電ができるのでちょっとだけほっとします。

いや~、20cm程度の地割れや段差、路肩の崩落がいたるところにあります。慎重に乗り越えのりこえ、落ちそうな橋は回避し地元のクルマの動きから進路を判断、自転車で鍛えた勘を最大限働かせて間道を伝って南進しました。山を3つくらい越えると、宿の前に通じる国道288号線に出られたのです。国道288号は崖側一車線が崩落し、交互通行です。県道35号への分岐点ではパトロールカーが道路封鎖を始めており「浪江方面は津波のため入れません」と呼びかけていました。もう少し遅れたら、脱出は難しかったかもしれません。

17時30分くらいに普段でも携帯圏外の山あいの宿の駐車場に着くと、宿は真っ暗。「これはみんな避難してしまったか」とドキドキしながら玄関に向かっていくと、中から人が出てきました。「よく戻ってこられましたね」と3人が口々に言います。「運が良かったです。6号も県道35号も通行止めでしたから」と答えましたが、宿は停電だとのこと。「今日は泊まっていただける状態ではないので」と宿泊拒否です。停電ではひかり電話も不通なので留まる意味はありません。「海沿いはダメなのでこのまま内陸側に抜けて帰ろうと思います」と言うと、それがいいかもしれない、と同意してくれました。宿の主人は「原発は大丈夫なのだろうか」としきりと心配していました。その間に日が暮れ館内は真っ暗なので懐中電灯を渡され、一人で荷物の回収です。ついでにトイレを借りました。水が出ず、断水でした。ラジオで情報を聞くといいのではとアドバイスし、一泊分の支払いを済ませ、宿を後にしました。

国道288号での山越えです。街灯はないのか、停電なのか真っ暗。所々直径1mくらいの落石が道路をふさいでいます。路肩の崩落もあり、対向車とゆずりあいながら田村市常葉町あたりで携帯の通話が回復し、メールで無事を確認しあっていた茨城の長女と話すことができました。ここは停電していません。ラジオで公衆電話が無料になったと聞いたので、公衆電話を見つけて埼玉の母と話しました。そこでようやく仕事の担当者と携帯がつながり、翌日の作業は中止しこのまま帰宅する許可がとれました。

船引から国道349号を通り小野に抜けてみたものの磐越道は通行止め。遠回りでも安全な東北道経由で帰ろうと思ったのに! 高速通行止めの情報はここまでラジオでまったく言ってくれなかった(怒)
そこからは地図がないので迷走状態。県道42号を経由し国道49号に出たので郡山に向うものの途中から県道141号に曲がり、雪の凍った峠をいくつか越え、福島空港付近に出ました。通行止めを回避すると偶然国道118号に出ました。自転車で走ったことがあるのでここからは地図なしで帰れます。ガソリンスタンドが開いており比較的安いようなので、満タンまで給油。ブルベでよく使う『道の駅塙』で休憩、コーヒー補給。
茨城県に入ると停電です。街灯は消え、信号も動いていません。ラジオで水戸は断水と言うので、軍民坂湧水に寄り、手持ちのペットボトルを満たして自宅に着いたのは金曜夜中12時くらいでした。

家の中は足の踏み場なし。落ちた食器類が割れていなかったのが不幸中の幸いです。携帯基地局が停電で機能せず自宅は圏外。乏しい電池残量でワンセグテレビ見たり、乾電池駆動のラジオを発掘したりして情報を得ました。携帯電話の充電を兼ね土曜朝にはクルマで出動し、軍民坂に給水に行きました。
土曜夜遅くから電気が使えるようになり、日曜朝には水が出ました。3日ぶりにお風呂に入り、プチ被災者状態から回復。食料はほとんどありませんが、ストックのパスタで3日くらいなら耐えます。

余震のせいかずっとめまいがしていますが、ゆっくりやればいいので元気を出してがんばります!