目指せ、自転車星人!

何歳までも自転車生活

遍路二日目

2005(H17)年1月2日

 

倉庫に入れてあった自転車を引き出し、リアバッグを装着。ここから11番札所藤井寺までは30分くらい。途中、吉野川の沈水橋を渡る。

 

今日これから向かう12番札所焼山寺のある焼山寺山は山頂付近で雪が舞っているようだ。雲の下が、ぼんやりと雪で煙っているのが臨める。

 

ほどなく藤井寺に到着。昨日切幡寺で見かけたロードレーサーの人がちょうど出るところだった。今日はこっちも自転車なのであいさつする。

 

「今日、これから焼山寺にアタックし、できれば徳島市内まで戻って泊まりたい」とのこと。私はとてもそんな行程はとれないから途中に宿をとってある。あなたは切幡寺の坂を登れるから、たぶん大丈夫だけど、日が短いからなるべく早く登って降り始めた方がいいですね、と情報交換。

 

私は、今日はあと焼山寺だけに行けばいいということで気が緩んでしまった。彼との会話を忘れ、別格札所2番の童学寺で長い休憩をとった。陽差しは暖かく風もない。昼前のひと時、まるで3月のような陽気に感じられた。童学寺トンネルを抜け、ゆるやかな傾斜の鮎喰川(あぐいがわ)左岸の北回りルートを楽しく登る。

 

何かで読んだ昔からの警句をちらりと思い出す。

焼山寺は午後から目指してはいけない」

 

でも、途中の宿でリアバッグを預かってもらえば、大丈夫。バッグを外せば私だって飛ぶように登れるんだから。

 

阿野の植村旅館にバッグを預けた。午後1時くらいだったろうか。それからしばらく登ると、今朝の彼とすれ違った。一番上まで自走したそうだ。

「でも、今からですか?」

と私のことを心配そうにしていた。その意味を私は後でいやというほど知ることになる。

 

午後2時くらいに鍋岩のバス停にたどりついた。バスはここまでしか来ない。自家用車やタクシーならともかく、徒歩だとここから1時間半の急な登山道になる。

 

バス停から先、道が本当に狭く険しくなった。最初の登り坂も自転車を降りて押すようだ。

九十九折りのひとつめの角を曲がると北傾斜の雪道。一昨日の積雪は全く融けておらず、自転車の車軸のあたりまで積もっている。雪かきをしていないので、クルマの轍以外は路面が出ていない。その路面も薄い氷で被われているようだ。

 

クルマとすれ違うのにいちいち深雪の中によけていては話にならない。納経時間は午後5時まで。迷っている暇はなかった。即座に自転車での登坂をあきらめ、登山道の階段の手すりに自転車を固縛した。ここからは心構えはあったものの、雪というのは想定外の徒歩での登りだ。

 

登山道の石段はこの地方特有のなめらかな緑石で組まれている。その石段には雪が積もっている。先行者の足跡を頼りにしても、人が踏んだ部分は雪が融けて硬く凍り、危なくて足がつけない。トレッキングシューズとアイゼン、できればストックも欲しいと思った。荷物を詰める際、極力軽量化を図った結果、クリート付きのMTBシューズしか履いて来なかったことをさすがに後悔する。

 

一歩一歩細心の注意で足を下ろさないとクリートとシューズの鋲が金属だから、あっと言う間に滑ってしまうのだ。

 

 

6㎞の道のり。標高差450m。登山道に他に人はいない。私一人。

ふもとから遠くに見えた雪が今は頭の上からちらちらと降り始めた。

陽の差し込まない森の道は薄暗く、私の足音と弾む息の音しかしない。

 

「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛」

「なむだいしへんじょうこんごう」と苦しい息とともに声に出して唱えながら登る。

 

お大師様は山頂で待っていてくれる。

どこにも行かず、私が行けば必ず待っていてくれる。

信じて一歩一歩足を進めた。

 

登山道は何回か車道を横切る。雪融け水が車道を板氷のようにつるつるに変えていた。

徳島県のクルマが融雪剤を撒きに来ている。

 

苦闘1時間半。ついに焼山寺まで登り切った。もう4時になってしまった。お大師様は待っていてくれた。私にははっきりそう感じられた。お参りし納経をすませ、すぐに下りはじめる。

 

登山の鉄則では下りの方が危険で、気の緩みから事故も多いといわれている。今日のコンディションでは登りの1.5倍の時間をかけ、慎重に下るべきだ。できれば真っ暗にならないうちに自転車のところまで戻りたいが、安全第一。日没はだいたい午後5時である。自転車のところには6時につけばいい、と目標時間を設定した。

 

みるみる冬の日は落ちて森の道は真っ暗くなる。一歩一歩慎重に下り続ける。そのうち調子がでてきて、注意が足元から逸れはじめた。『自転車のところに着いたらどういう手順で走り出す準備をしようか』と、余計なことを考えてしまった。その瞬間体が浮いた。大きな平らな石に無造作に着いた左足が大きく滑ったのだ。体は滑った石から前に飛び出してしまった。あっという間もない。

 

ところが運のいいことに次の段も大きな平らな石だった。

お尻から次の石の真ん中にまっすぐ落ちた。はっとしたが、手を突いて立ち上がってみる。尾てい骨も打っておらず、痛みはない。どこもケガしなかったようだ。落ちたところが、尖った石や石の角だったらと思うとぞっとしたが、無事だった。旅館に携帯で連絡して救助に来てもらうなどといった迷惑をかけずにすんでよかった。(携帯電話を掛けようとしても圏外だったかもしれないが)

 

さて、ボトルの水を飲み一息つく。落ち着いて考える。そうだ、いいものがあった。盗られると困るし、たぶん帰りは暗くなると予想して自転車から外して持ってきた電池式の前照灯をリュックから取り出す。LEDでめっぽう明るいやつだ。それを懐中電灯がわりにして足元を照らし、少しペースを落として下山再開。予定通り6時頃自転車のところに到着。

 

登山道の入口は九十九折りの角に近かったので街灯があり、準備が手早くできた。バス停まで500メートルほど。真っ暗な急坂なので押して下る。ようやくバス停からは自走できる。下り基調なので心は軽い。道なりに帰れば旅館に着く、とぼんやり考えていたのだが、よく思い出すと、どこかで鮎喰川を渡って右岸に出たはず。暗くなってしまったのと、逆行なのでそれがどこの角だかわからない。適当に左岸に移った。不安にかられるうちに通った記憶のないトンネルをくぐった。

 

あ~、もう限界。とにかく旅館で心配しているはずだから携帯で一報を入れる。留守番をしていた99歳のおばあちゃんが出てくれた。どう帰ったらいいか聞くが、要領を得ない。

 

「今どこにいるかわからないけど、とにかく無事だから、もう少しで帰れると思います」

 

と告げ、走行再開。とにかく左岸に沿って帰ることにした。それから15分くらいで到着。もう夜の7時だった。

 

旅館の若おかみさんは外出していて、私の出発を見ていない。夕食の支度を始めても私が戻らないからずいぶん心配したようだ。何時にここを出たの?と咎められてしまった。

はい、お昼過ぎにゆっくり出た私が馬鹿でした。申し訳ありませんでした。

 

私は運良く無事に戻って来られたが、一昔前だったら下山を断念し寺の山門下で野宿とかもありうる。(宿坊のない寺では遍路を屋内には泊めない)

現在だって途中で動けなくなれば遭難だ。この季節夜半に氷点下で凍死ということもなくはない。標高700mの山に挑むには計画が甘かったことを強く反省した一日だった。

 

教訓:山頂の寺は早朝からアタックすべし