目指せ、自転車星人!

何歳までも自転車生活

宗吉・アサの墓(城里町上泉)

読書の秋…吉村昭の『天狗争乱』を読みました。
幕末に蜂起した水戸天狗党の顛末…。
小説のなかに乳飲み子を背負って京都を目指した女性が出てきます。
それがアサなのだと思いました。
 
涼しい森蔭に宗吉とアサの墓があります。
 
 
  『宗吉、アサの墓について』
  安政六年(1859)、野州茂木生れの宗吉は幕末、鈴高野村の勤皇烈女黒沢登幾子により由あって上泉組頭与衛門にあづけられ万延元年、与衛門の卑女アサを嫁にした。翌年アサは男子を出産した。
  文久三年(1863)藤田小四郎等が天狗党を組織して筑波山に挙兵、同年十二月一行は西行し、宗吉夫婦は募兵に応じ赤子をつれ軍に従った。
  天狗党軍兵は、加賀藩に降伏、武田耕雲斎、藤田小四郎ら三百五十三名は幕軍により松原浜で斬首された。
  しかし宗吉は小者として水戸送りとなり、慶応元年赤沼の獄舎で病死した。二十七歳。
  アサは水戸送りの天狗党召人を塩津街道深坂峠に見送り雪の中に凍死した。二十九歳。
  右は安蔵勉氏の調査によるものであるが、幕末他国の地で薄幸な生涯を終えた宗吉、アサ夫妻の霊をとむらうものである。
  平成元年四月
    飯田二郎書