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箱樋工事再興記念碑(水戸市渡里町)

寒くなったけど湧水ネタです。天狗党関連史跡をめぐる間の副産物なのですが。

R123を茨城大学前から城里に向かい台地を下りる坂の途中、田野川を渡る手前を左に行く廃道があります。この廃道は、撤去された橋を通り山新渡里店の後の飯富郵便局前の市道に続いていたのですが、国道が那珂川寄りに整備される過程で廃道になったものと思われます。住宅地図を細かく調べていたら廃道わきに石碑があるようです。
天和元(1681)年の資料によると水戸藩の刑場は、田彦原(ひたちなか市)、後台入会野(那珂市)、長岡原(茨城町)、台渡足付(水戸市)にあったとのこと。台渡は台渡里のことでは? 江戸時代は公開処刑であったため刑場は街道わきに設けられました。ここはかなり古くからの街道ですので、もしかしたら刑場跡の慰霊碑かもしれないと、MTB(700cスリック装着)で探索に向かいました。

左手に石碑です!

「箱樋工事再興記念」と読めます。
 
『飯富郷土誌』によると、元禄15(1702)年に、前沢川(上入野)から田野川に至る農業用の飯富用水が通じたそうです。その用水に『箱樋』が使われていたという記述があり、地元では常に修理点検を怠らず昭和23(1948)年までは箱樋が残っていたようです。
今のところ文献には見当たりませんが、この石碑は大正5年に箱樋の大修理が行われた際の記念碑なのでしょう。直後の大正8年には飯富用水の水利組合ができたそうです。
石碑は飯富用水跡の田野川への落ち口の真向かいから用水を見下ろす場所にあります。(現在は木が伸びて眺望はありません)


記念碑の左手後方に集水枡がありました。湧水を受け、溜めておく木製の箱です。
この集水枡や八橋は、昭和58(1983)年に前の道が廃道になる以前に園地として整備されたようですが、詳細は地元の方に聞かないとわからないかもしれません。

集水枡のすぐ右側にかなりの量の水が湧き出していました。そこから直接容器に受ければ飲水可能かもしれません。ただしここはこれまでの調査では目にしなかったので、水質検査の実績が不明です。少々の大腸菌くらいなら、自転車のボトルにはねた泥等で鍛えているから大丈夫なのですが(汗)有害物質は困りますので、お飲みになる際は自己責任で。

『水戸の水道史』によると、大字飯富字安戸星(あとぼし)地区の簡易水道水源として、この集水枡の先数100メートルに「安戸星水源施設」が昭和33年に設けられました。水は田野川を水管で越えて供給されました。渡里台地からの湧出は現在でも相当量あり、一部は市の水道事業に移管されて利用されています。

なお、渡里の地名ですが、台地上の「台渡」と低地の「圷渡」が合併して、『渡里村』が発足しました。那珂川を渡る交通の要衝だったため、古来より「渡」と呼ばれていた地区なのだそうです。
で、台渡足付とはどこなのでしょうか(笑) 気になります。