目指せ、自転車星人!

何歳までも自転車生活

400奥只見回想記3

第5ステージ(52.6km)  PC5会津田島のリミットタイム23:30
 
PC4を20:00出発。(貯金2分) 3時間半で登りのある52.6kmをこなさなければならない。昼間なら暑くなければ問題ないが、土地勘のない未知のルートで夜。PC5までトイレのある小休止ポイントのあてがないのも不安である。しかし会津田島まで進めばそこからは知った道だ。睡魔がときおり顔を出すだろうが対処方法はいくつかある。負けないぞと気合を入れる。
 
温泉施設『季の郷湯ら里(ゆらり)』を右に見た後、県道351号に右折すると眠い。明るい自販機があったので停まり、缶コーヒーを飲む。そろそろKさんが追いついてくるんじゃないかしら、と後を窺う。走り出して程なく自転車の前照灯が近づいてきた。すると驚いたことにはるか前方にいると思っていたBさんであった。PC2,PC4での休憩を切り詰め、湯ら里で入浴仮眠休憩とっていたそうだ。う、うらやましい~。
「只見でリタイアしそこなったので宇都宮まで行きますよ」と宣言。Kさんが後方にいることを伝えると、Bさんは、私に励ましのことばをかけてくれた(ような気がする)。Bさんは先行していった。
PBP1200も完走しているBさんの力量ならさっさと完走できるはずなのに、時間調整して試走経験の浅い私やKさんのことをさりげなく見守ってくれているのだ。Bさんがすぐ先にいると思うと、引っ張られるように力が湧いてきた。
 
山口トンネルの手前、306.5km地点の交差点右側のヤマザキショップのトイレは閉鎖されており使えず。ちょっと残念。ガソリンスタンドのトイレは営業時間中なら声をかければ貸してもらえるはずなので、今後は気をつけてみようと思う。
 
駒止トンネルまでの登りも長くてきつかった。連続するスノーシェッドの丸い入り口が見えるたびに「これが駒止トンネルか!」と期待しては外れるものだから疲労感が増す。その登りでKさんが追い越していく。「PC5間に合いますかね?」と不安そうだ。「私は間に合うつもりで走っていますよ」と答えると元気が出たのかダンシングで行ってしまった。私は変わらずマイペース。
ゆるいが九十九折りもありスノーシェッドにさらに何度か裏切られつつも、ようやく本当の駒止トンネルに達した。しかし、、、、トンネルの中が緩い登りである。その登りは長いトンネルの出口まで続いた。細かいプロフィールマップでは表現されていたのだが、走っているうちに忘れていた! すぐに下れると期待していたのに、さらに2kmも登らなければならなかった。
 
出口からは下り。夜11時に近い。時間が押している。登って来た反対側と異なり長い直線的な下りを死に物狂いで下る。夜霧でアイウェアが曇る。街灯はない。ライトの電池が消耗してきて照度が落ちてしまったと勘違いするくらい道路の白線が見えない。しかし50km/h超でペダルを踏む。その速度のまま片手運転で視界の妨げになるアイウェアを外し、ジャージの襟にかけた。ヘルメットのライトを点灯し、目を大きく見開いて道路の曲率を見極めようとする。たまにクルマが追い越していく。それが去るとまた暗闇のダウンヒル。「こんなの家族には見せられないな~」と反省する。幸いアドレナリンの分泌のおかげで睡魔は影をひそめている。
 
平坦基調になった。緊張が解け眠い。縁石の切れ目に突っ込みそうになる。この時間でもクルマが多い区間フラフラしながら走ると危ないので、気持ちを切り換えるため停まってウィンドブレーカーを脱いだ。寒いが、寒気に身をさらせば眠気も収まると考えたからだ。それからは気を引き締め、23:18(リミット12分前)にPC5会津田島のセブンに飛び込んだ。
その直前、PC5を出て行った自転車のテールランプが見えた。Kさんだったら私は一人だな~、ピンチだな~、とぼんやり考える。しかしKさんはコンビニの前に座って補給していた。出て行ったのはBさんだった。
 
リミットまで12分で到着して休憩を20分とったら、アドバンテージはマイナスになってしまう。ここまで追い込まれたブルベは初めてだが、さっきまでとは違って投げ出す気はなくなった。正直このルートはブルベでは二度と走りたくない。リタイヤしたらリベンジでまた来なければならなくなる。『これは時間ギリギリになっても完走しなければ』という気持ちだけになっていた。
 
ここはしっかり補給を摂らないとダメだ。乾いたパンはもう喉を通らない気がして、甘いいなりずしとおにぎりを食べる。Kさんはもう少し休んでいくというので23:40頃私が先発。
 
第6ステージ(74.7km) ゴール:日光杉並木ユースホステルのリミットタイム12日4:30
 
眠い~~~!
深夜0時を回って12日(日曜)になった。10日(金曜)の朝5時に目が覚めてから43時間寝ていない。
PC5を出て程なくの上り坂にあった自販機で缶コーヒーを買おうとしたら小銭が足りない。小銭入れの千円札を使おうとしたら汗で湿っているせいか自販機が受け付けてくれない。仕方ない(他にシールパックに入れた乾いた紙幣があったのだが、いっぱいいっぱいで思いつかない)ので今朝PC1に使ったココストアまで進むことにする。このあたりでKさんに追い越された。
 
しばらく一人で行くと、右側の歩道に自転車が転がっているのが見えた。こんなところに自転車が、といぶかしく思い道路を横切ってみると暗い歩道にKさんが倒れていた。驚いて声をかけるとムクムクと起き出してくる。寝ぼけて斜行し、右側の歩道に乗り上げて落車してしまったそうだ。膝から出血している。聞けばロードバイクでの初落車で、そのショックから5分くらい横になっていたそうだ。こんなところで停まっていても治療も何もできないので「とりあえず朝寄ったココストアまでもう少しだから行きましょうよ」と励ます。私は早くコーヒーが飲みたい。「下りで転ぶより被害が少なかったんだから…」と付け加えると、気を取り直したKさん、持ち前のパワーで先行する。しかし落車の後だからか私から見える範囲で走ってくれた。
 
ココストアにはBさんが休憩していた。Kさんが落車したことを話し、私もタイムアウトこそしていないが眠いことを伝える。
「山王トンネルからはゴールまで下り基調ですから(大丈夫ですよ)」と、Bさんにしてはめずらしく見通しを解説してくれた。
前回5月の経験では、試走のベテランは実はあまり構ってくれない。試走が本番よりきついのは情報量の少なさとキューシート、コマ地図などの不正確さ、スタッフからの有形無形の働きかけがない、参加者同士の助け合いが期待できず徹頭徹尾独走しなければならないところにある。今日は2度目の試走で最後のPCまで来た。Kさんには大分お世話になったが、ほとんど単独走であるのでBさんも認めてくれたのか。
暑くて辛かった昨年の埼玉600アタック会津とつい22時間ほど前の記憶を呼び覚ます。五十里湖のあたりと龍王峡あたりで短い登りがあったはず。それ以外は確かに下り基調だからBさんの言う通り、完走はまだ私の手の中にあると思えた。
 
Kさんのけがは大丈夫だというので、コーヒーを飲んでBさんに遅れること15分くらいで私は出発した。
黙々と山王トンネルを目指す。この登りは比較的たやすいが下りに入ると少々道が悪い。
国道121号龍王峡方面に右折すると何度目かの睡魔がやってきた。一度、ハンドルが大きくゆらぎハイサイド気味に投げ出されそうになった。ふ~、危ないあぶない。一旦停まり、またウィンドブレーカーを脱ぐ。少し走るとKさんが追いついてきた。大丈夫そうだ。
よほどのアクシデントがなければ、二人とも完走は堅いところで走っている。心が軽くなり、今日はもしかしたらKさんとはここでお別れかなと思い、お互いへの感謝を述べあった。そんな気持ちの通じ合いが最後の走りによい影響を与えないはずがない。あとたった50kmだ。数分間一緒に走ってから、Kさんに先行してもらった。
 
闇に沈む五十里湖を見おろしながらひとり走る。自転車歴6年目の今では、疲れてきたらギアを軽くし100回転以上で脚を回してリカバリーすることができる。すぐトイレに行きたくなるが老廃物を出すのが重要だ。全体としては練習不足だが、400kmでも600kmでも終盤に脚が回せるよう高回転の練習を常に心がけていることが生かされた。明け方近くなり、体調維持が難しくなるが睡魔はどこかに行ってしまったようだ。川治温泉を走り抜け、龍王峡パーキングのトイレに寄る。
 
それから395.8km地点県道279号轟(とどろく)交差点のファミマで念のため小休止。トイレだけ借りるのもなんなので、完走後に食べるクリームパンを買い、バックポケットに入れた。あと10km弱。ここには昨日も同じくらいの時間に寄った。見覚えのある店員さんは私がその間ずっと走り続けていたとは思うまいな、と一人ほくそ笑む。
 
あと1.9km、最後の直線に入った。淡々とペダルを回す。暗がりのゴールのユースホステル前庭に入って行った。するとKさんが待っていてくれた。夜間撮影モードにした携帯電話のカメラで写真を撮ってもらい、主催者にメール送信する。それが試走のゴールタイムになるのだ。12日4:09。所要時間26時間39分であった。
Bさんは居なかったが、私たちの完走を信じて帰路についたのだと思った。
 
エピローグ
 
早朝の前庭に長居するわけにはいかないので、Kさんと夜明け間近の新里街道を走り出す。「今日の完走は誇りに思っていいですよね」とお互いに讃えあう。すごい充実感だ。
Kさんは森林公園に戻らなければならない。私は大谷駐車場。新里町信号の先で、BRM1002埼玉600アタック日本海での再会を期して別れた。
 
大谷駐車場に着くとちょうど5:00。48時間不眠で動き続けたわけだ。不眠最高記録などと威張っていてはいけない。これからは400でも仮眠がとれるくらいの巡行速度を維持できるようにならなければ。
 
いくつかメールを出しながら楽しみにしていたクリームパンを食べ、残ったドリンクを流し込む。日帰り温泉が開くまでの時間調整に運転席で目をつぶった。2時間くらい眠れたようだ。途中の御前山で入浴と仮眠をして午後遅く無事帰宅した。(おわり)