目指せ、自転車星人!

何歳までも自転車生活

3/21 日光東照宮305km回想記(後編)

 ここまでたった4時間。風のおかげで結構濃い夜でありました。

 先週の313千葉300銚子も強風。。。八街(やちまた)から佐原の間でひどい土嵐の壁を突き抜けたのは今日と同じ。それに房総の濃い杉花粉を吸い込み、この日になっても咳と痰が止まらない状態です。のどに花粉と土が張り付いているのかと思い、うがいして過ごしていましたが発熱はありません。そこにまた土埃を吸い込んでしまいました。。。終わってから気づいたことですが土埃や花粉は肺まで入っていたんですね。(痰は肺から出てくる)
 自転車はサードバイクのSpecialized Sequioa(アルミフレーム+カーボンフォーク)。フルカーボンのファーストバイクより2kg重い。
 そのようなわけで心肺機能はたぶんいつもの60%くらい。自転車重量は30%増という不利な状況ですが、これまでのブルベ(昨年からの総認定距離2400km)や悪天候やオフロードでのMTB練習、耐睡眠不足訓練と持ち前の集中力を総動員し『できることを積み重ねていけば完走できる!』という確信がありました。
 何より2、3月の比較的平易な200×2、300×2の1000kmを完走しておくことで、PBP2011派遣への距離計算に含まれない4月のフレッシュを走っても、派遣基準『2010年認定3200km』に手が届く可能性が大きくなるのです。今日はそのフレッシュの予行演習という位置づけ(だから深夜スタート)。走る限りはフレッシュチームメイトのチョンボさんと一緒にゴールまで行かなくてはなりません。この二つは今日の完走への大きいモチベーションです。

 さて、心のよりどころにしてきた道の駅は休憩室が閉まっており、屋外の自販機で温かい飲み物を摂るくらいしかできなかった。風は先ほどより少し弱まってきたもののびゅうびゅういっている。長居は無用。ブルベ2回目の男性を含む4名で再スタート。すぐに東の空が白んでくるのを感じた。夜明けは近い。
 顔を洗えたし、この魔の時間帯に眠くならなかったので少し元気が出る。
 最初のチェックポイント107km地点のPC1鹿沼まであと25kmくらい。所要時間を1時間半としてPC1で約1時間半の貯金ができる見込み。こうして到着予定時刻を多めに見積もりPCクローズ時間との差を早めに把握することで落ち着いて走ることができる。あせりからくるミスコースや補給不足などのリスクを下げられるから声に出して一緒の人たちと意識統一を図っていく。
 この強風下、107kmで1時間半の余裕は上出来だ。あせらず一緒に行こうという気持ちでチームはまとまるのだ。

 卒島を過ぎて長い直線の広域農道。完全に夜が明ける直前、雨が降ってきた。チョンボさんが雨具を着るという。広い交差点で停まり、各自雨装備を整える。予報では明け方前後2時間くらいの降雨だということだったので体脂肪率の高い今は軽装でいかれるだろうと予測してきた。
 私の装備は半透明のレーシングレインジャケットと、前掛け風の腰から膝までの前側だけレインカバー。靴下は透湿完全防水。サイクリングキャップをヘルメットの下にかぶった。グローブは水はけのいいメッシュの長指のまま。
 10分くらいで再スタート。予定した所要時間内に収まる程度のロスだ。すぐに冷たい本降りになった。淡々とペダリングするのみ。おしゃべりはやめて黙々と進む。
 
 とりあえず、クニリンさんとチョンボさんと私とで100kmずつ前を牽けばいいんじゃないかと(勝手に)考えたので、ルートを大体記憶している最初の平坦100km余りは積極的に前に出る。わかりにくいところはGPS担当のチョンボさんが後から「右!、左!」と指示してくれるし(笑) 金崎で左に折れ、工業団地の丘を越えた。PC1はもうすぐだ。ここまで80%は先導できたかな。今日の状態にしてはよくやったでしょう!
 PC1では濡れて冷えそうだったのでめずらしくおでんを食べた。それとお決まりの赤飯おにぎりやジャムパン。ウィダーゼリーエネルギーインをボトルに注ぎ水で薄める。今日はCCDの手持ちがない。
 
 古峰原街道に入ると登り基調。ほどなく雨が上がった。大きな虹が出てきれい。5月の250kmウルトラマラソン本命レースに向けて調整が順調なクニリンさんが快調だ。今日は修理の済んだファーストバイクだって言ってたし。
 チョンボさんが遅れて見えなくなってしまったので、これ以上隊列を延ばすわけにはいかない。ブルベ2回目の彼に「クニリンさんと一緒に行ってください。私たちを待たなくていいから」と言い前に出てもらう。二人はすぐ見えなくなってしまった。少し走ってから停まりチョンボさんを待ちながら濡れたグローブを軍手タイプの乾いたものに交換し、腰から下のレインカバーを巻いて腰部に収納する。それでもチョンボさんが来ないのでゆっくりだが先行。最大斜度17%の滝ヶ原峠は今日の状態では乗って上がれないだろう。押し歩く前にできるだけ進んでおこう。

 雨が上がると同時に周囲の杉林から花粉が一斉に舞ったようだ。一気に調子が悪くなった。薬はPC2で飲むことにしている。峠を越えれば薬が飲めることをモチベーションにゆるい登りを軽いギアでゆっくり上がる。小来川方面に曲がると傾斜がちょっときつくなった。負荷がかかり暑くなってきたのでもう一度停まりレインジャケットとキャップをビニール袋に収めサドルバッグに戻す。チョンボさんはまだ来ない。
 少し走ると、案の定0時発の先行者とすれ違い始めた。masarinさんが来た。速いなあ。声をかけベルを鳴らしながら、次々とすれ違う。一度下って小来川支所の交差点を左へ折れ滝ヶ原峠へ向かう。復路はその交差点を直進方向から来るので、もうすれ違う人はいない。
 ここからは昨年の808宇都宮200日光山岳で走ったことのあるルートだ。一人だが明るくなったし心細いことはない。ただ花粉が辛い。頭がぼーっとして集中力が低下する。(今考えれば薬をさっさと飲むべきであった)
 途中、短い橋を渡ったところでルートの県道は右へ向かう。道なりなのだが路肩の白線はないので、見ようによっては基本的に直進を取るブルベ参加者は正面の林道へ進んでしまいそうだ。脇にわざわざ『中禅寺湖方面⇒』という案内板がある。日光山岳では滝ヶ原峠を越えていろは坂を上がり中禅寺湖へ出た。その記憶が中禅寺湖を目指せばよいと判断させる。
 万一間違えて林道に進んだ場合、正しい滝ヶ原へのルートは県道だから県道番号を表示したヘキサ(六角標識)が5kmも見当たらないときや、先が抜けている県道らしくなく道路が荒れているときは勇気を出してすばやく基点に戻らなければならない。5kmなら戻って10km30分のロストで済む。30分ならたいていはリカバリー可能だ。

 脚をなるべく残そうと軽いギア(30×25前後)をクルクル回しながらチョンボさんを待つ。滝ヶ原峠の手前4kmくらいでようやく追いついてきた。登りで追いつけるということは脚は大丈夫なのだろう。「寝てたんですか?」と訊くと、どうにも眠くてかなり手前の神社の境内で短い仮眠をとったそうだ。一応チームなんだから黙って消えないでほしい。そんな私の気も知らず「ねえ、滝ヶ原ってぜんぜんきつくないじゃない」などと能天気だ。「ここはまだ緩いの! 頂上の手前2kmからが半端じゃないから」と答え、花粉に耐える。
 いよいよきつい区間になった。無理せず降りて押す。雨が降るから?通勤車で来たチョンボさんも押し始めた。もう一度乗ってみたが200mくらいでだめ。120kmほど風上にたち集団を牽引してきたのが効いている。日光山岳はスタートからすぐだったから乗ってここを越えられたんだし、今シーズンの体ができていない今日は無理しない、と自分に言い聞かせ歩く。時速3km台では貯金をかなり吐き出すがPC2東照宮前からは平坦+下り基調。残り155kmなら1時間以上挽回できるのだからと、とにかく峠を越えることを目指した。
 「まだ~?」「もう少しだよ!」とのやり取りを何回か繰り返し、ようやく峠頂上に出た。日光側から氷のような風が吹き上がって来る。自転車をまたいで立っていることすら困難な強風だ。意を決してダウンヒルに挑む。「道路の端だけでなく中央にも砂だまりがあるから気をつけて」と注意して先に下り始めた。乗りなれていない自転車だからか下ハンドルが持ちづらい。ブレーキレバーがデュラエース7800より一回り遠く指が届かない。仕方ないのでブレーキブラケットを握って下った。自転車が安定せずちょっと不安。。。途中チョンボさんが交わしていく。
 
 清滝交差点から緩い下り。一気にPC2に滑り込んだ。クニリンさんは居なかった。。。待ってなくていいって言ったから大丈夫。他の参加者もいない。スタッフももちろん居ない。もしかしたら最後尾かも~。全体の走行状況がわからないのは辛い。貯金は1時間弱。眠って2km歩いて30分ちょっと吐き出したということだ。 薬を飲んでゆっくり休憩する。
 山々は黄色く霞んでいる。花粉か黄砂か。「日光って日本で初めて杉花粉症が報告されたところなんだよ」と言ってみる。「(花粉症のオレたち今の時期に)来ちゃいけないんじゃない。。。」とチョンボさん絶句。わはは。
 
 クローズ時間まで30分を切ったところで再スタート。ルートで東照宮参道の石畳を走らされる。多くの人はここをいやがるが、私は『パリ~ルーべ』気分が味わえて好きだ(笑)
 花粉という名の瘴気が濃すぎて薬はほとんど効かない。もう残り半分は基本的にチョンボさんに牽いてもらうことにする。ついに声がかすれて話しづらくなってしまった。チームMC係(別名アジテーター)が務まらなくなって非常に申し訳ない。PC3までアップダウンの続く44kmは休憩なし。途中、GPSの電池を交換するというチョンボさんを置いて、今日最後の激走と古峰原街道を駆け下る。具合が悪くても一人になると誰も頼れなくなるせいかしゃんとすることがわかった、、、これがチームで走る難しさのひとつだ。

 PC3でチョンボさんが仮眠。30分くらい放置。その間に雨でオイルが流れ、すっかり乾いてしまったチェーンに注油し、しっかり食べる。PC3を出てからの単調な農道に二人ともあっという間に音を上げ1時間くらいの卒島セブンで休憩。口鼻の周りがうるおいを失い乾いたのが苦しい原因だと気づいた。忘れたリップクリームを買って塗りまくりしのぐ。それからは気分も何とか持ち直した。夜明け前の倒木はさすがに片付けられていた。ここまで来るとやや追い風という感じがする。花粉濃度も下がったようだ。(別名花粉センサー)
 残り59kmのPC4で貯金は1時間半に回復。途中で一人追い越したので最後尾でなくなったのが心強い。PC4でその人が入ってきたが、まだ脚を残している私たちと一緒に走るのは無理だという。ではお先に、と言って走り出した。

 いよいよ地声が出なくなり走りながら話せないのは不自由だが、もう完走は大丈夫だろう。利根川を渡り、野田スポーツ公園を過ぎたところのセブンで最後の休憩。休んでがっつり食べる。あたりが暗くなってきた。ライト点灯、再スタート。クルマが多い市街地になったので、慎重に走るチョンボさん。もうふらふらだがクルマに接触したりしないよう、なるべく左端を走ってついて行く。
 日が落ちて寒いからと停まって雨具を着た。濡れているけど風が通らないのはありがたい。。。ささやき声しか出なくなって19時前にゴール。認定17時間59分。
 100km6時間の完走の法則どおり2時間の貯金に回復させられた。自分で勝手に掲げた法則だが脚を傷めずブルベを完走する目安になると思っている。
 体調不十分でチームには迷惑をかけた。20日午前8時に起きてから35時間、一度も眠くはならなかったけど、咳が止まらないのはまずかった~。

 みなさまお世話になりました。お疲れさまでした。またいつかいっしょに走りましょう!